〜 偉人たちの素敵な足あと 〜
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第2回 ボーツァルト 〜 ピアノに革命を起こした悲運の天才 〜 |
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1752年 ・・・ ウイーンに生まれる 1760年 ・・・ 家業の弁当屋を手伝い始める 1782年 ・・・ 最初で最後の作曲 1795年 ・・・ 死去 |
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音楽家。 あくまで自称音楽家。 「ピアノのおっちゃん」と呼ばれた。
ウイーンの弁当屋の家に次男として生まれる。
父は酒飲み、母はベートーベンの追っかけに夢中だった。
留守が多かった両親に代わって、兄と二人で店番をやったりしていた。
常連の客で毎日「ロースカツ弁当」しか注文しない奇妙な中年の客がいた。
彼はボーツァルト兄弟の事を我が子のようにかわいがってくれていた。
ボーツァルトも男の事を慕っており、たまにポテトサラダ等をサービスしたりしていた。
この男との出会いがボーツァルトの人生を大きく変える事となる。
ある日、男は兄弟にこう言った。
「私は音楽学校の校長の知り合いで、ピアノ職人をやっている。ウチの仕事を手伝ってくれたら、音楽学校に推薦してあげよう。」
二人同時に抜けてしまっては、家業の弁当屋が成り立たない。
両親に相談すると、ベートーベン好きな母は大賛成して、ジャンケンで勝った弟のボーツァルトの方が男の家に住み込みで働くことになった。
3年の月日が流れた。・・・ボーツァルト14歳。もう一人前の職人になっていた。
親方に
「そろそろ音楽学校に紹介の方を・・・」
と話を持ちかけると、決まって
「まだ早い!」
と怒られた。
「校長にはちゃんと話を通してあるから・・・な?」
さらに奴隷同然にタダ働きをしながら16年の歳月が流れる。
ボーツァルト30歳。・・・もう音楽学校のことはどうでもよくなっていた。
ある日、親方が倒れてしまう。
毎日3食ロースカツ弁当を食べていたので、かなりの高血圧だったのだ。
「たまにはノリ弁でもよかったかな・・・」
それが最後の言葉であった。
ノリ弁・・・ごはんに海苔・・・白と黒・・・
ボーツァルトの視界に、ふとピアノの鍵盤が目に入った。
彼はヤケになりながら髪を振り乱して鍵盤を叩く。
最初はメチャクチャだった音が、10分ほどするとキチンとした美しいメロディーに変わっていた。
「こ、これは・・・!」
そのメロディーは激しい悲しみと虚しさを強く表現した音楽となり、街中に響き渡った。
名曲「ノリ弁」の誕生である。
この「ノリ弁」をヒントにベートーベンが「運命」を書いたという説が一部にあるが、定かではない。
晩年のボーツァルトは不遇であった。(もともと不遇だけど)
結局、音楽学校の校長と親方が全くの他人であった事を知る。
実家の弁当屋に戻ることとなるのだが、保健所の立ち入り調査を受け営業停止に追い込まれてしまう。
音楽史の表舞台に立つことが無いまま43歳の地味な人生は幕を下ろした。
死因は不明。・・・国際的な組織による暗殺という説もある。
「私にとっての音楽とは、結局ロースカツ弁当かノリ弁かという、
ただそれだけの事だったのだ」
〜 ボーツァルト 〜
第1回 ボリストテレス 第3回 西郷 丼
第4回 コロンボス 第5回 ボジソン
第6回 坊之津 満成 第7回 ボイチンゲール
第8回 ボゥジュマーヌ 第9回 坊津田 信玄
第10回 ムリー・ナントカネット 第11回 ウォルト・ボズニー
第12回 海原坊山
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