〜 偉人たちの素敵な足あと 〜
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第3回 西郷 丼 さいごう どん 〜 味と量にもこだわった幕末の牛丼屋のせがれ 〜 |
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文政10年(1827) ・・・ 鹿児島に生まれる 天保13年(1842) ・・・ 豚丼事件 天保14年(1843) ・・・ 女難戦争 嘉永3年(1850) ・・・ 牛丼に玉子を入れる 文久2年(1862) ・・・ つゆだくに目覚める 明治10年(1877) ・・・ ある意味、戦死 |
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幕末に活躍した牛丼屋のせがれ。西郷並盛の長男として生まれる。
「牛丼屋で豚丼はないよね、豚丼は・・・」と常にボヤいていた事で有名。
しかし一説には薩摩の黒豚も好物だったらしい。
15歳のときに店が「豚丼派」の侍たちに襲われる事件が起きた(豚丼事件)
この際、重症を負った父はのちに死去。
この事件をきっかけに牛丼派と豚丼派との間に戦争が勃発。
並盛を切りつけた男が並盛の愛人の息子だったことから「女難戦争」と呼ばれる。
西郷丼16歳。彼は若き指導者として牛丼派を指揮していた。
が・・・すぐに飽きてしまい、この戦争はわずか5日で和解した。
「結局、愛人を作りまくっていたウチの親父が悪いんだよね。」
この終戦を機に牛丼派と豚丼派の和平は急速に早まり、のちに西郷丼は
「あの時に終戦を締結してなかったら、今ごろは豚丼どころか生姜焼きも食べれなかったよね。」
と語った。
西郷丼らを尻目に薩摩藩と政府の緊張が高まっていく。
が、そんな事はもちろんお構いなし。
西郷丼24歳、彼は人類で初めて「牛丼に玉子を入れると美味いね。」と気づく。
「牛丼に玉子」・・・町の人々は次々に西郷丼の真似をして牛丼に玉子を入れて食べるようになった。
政府と薩摩藩の動きがいよいよ慌しくなってきた。
もちろん西郷丼には興味が全く無かった。
西郷丼36歳。彼はとうとう「つゆだく」を開発する。
「分量を間違えたんだけど、試しに食べてみたら結構イケたんだよね。」
西郷丼50歳。彼は藩主催の牛丼大食い選手権に出場する。
圧倒的優勝候補と言われていたが、大会当日の彼の体調は最悪だった。
前日に芋焼酎を飲みすぎて極度の二日酔いだったのである。
それでも彼は圧倒的な力で決勝まで勝ち残った。この時点で彼の胃袋には25杯もの牛丼が・・・
決勝。相手はなんと現役の力士。西郷丼の額に冷や汗が滴る。
お互いに5杯目の特盛を食べたとき、西郷丼の食道を牛丼が込み上げてきた。
途中で戻してしまっては失格である。彼は6杯目を無理矢理口に押しこんだ。そして・・・
「もう、ここらでよか・・・。」
そう言うと西郷丼は白目を剥いて倒れてしまったのである。
その後、再び彼が目を開けることは無かった。50年の生涯であった。
「国がメシを作るのではない。
人がメシを作るのだ。」
〜 西郷 丼 〜
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