歯ブラシの気持ち



作 ・ ぼーずまん

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81話 初仕事のとき 

暗闇に包まれた時間は過ぎていく。 いつの間にか湿った空気も乾いてきたようだ。

みんな話すのに飽きたらしく、無言の間が数分続いた。

ふいにゴン爺が口を開く。

「ふぉっふぉっふぉ。 どうやらツカサが降りてくるようじゃな。」

「え・・・!?」 ・・・息(?)を呑んで耳(?)を澄ます。

すると2階の方からドアらしき物音が微かに聞こえたんだ。

「なんでわかったのですか!?」  「ふぉっふぉっふぉ。 老いぼれの勘というヤツじゃ。」

続いて階段を下りてくる足跡。 マナミの足音よりも力強く、勢いがある。

いよいよ・・・ か。


82話 不意打ち 

キィ・・・ と微妙に音をたててドアが開く。 外側の少ない明かりが1本の帯となって室内に差す。

そして、ここに来てから何度も聞いてる音。 電気のスイッチだ。

洗面所内に再び明かりが灯る。 ・・・ツカサの顔が見えた。

眠そうなのが一目で分かった。 少し疲れているようにも取れた。

ゆっくりと心の準備をする。 そしてツカサは・・・

なんと、急に俺を手に取った! 俺は純粋に驚いたんだ。

歯みがきよりもお風呂が先ではなかったのか!? てっきり人間のルールで決められているのだと思っていた。


83話 ぬくもり 

ツカサは俺を手に取ると、数秒だけ動きが止まった。

どうやら俺の事を見ているらしい。 眠そうな瞳は相変わらずだった。

近くで見ると、なんとなくだがヒデキさんと鼻や目元が似ている。

声だけではなかったのだ。 きっと30年くらい前のヒデキさんもこんな顔だったのだろう。

俺の体にツカサの指の温度が伝わる。 数時間前にマナミに持たれたときの感覚を思い出す。

何かが違う。 ・・・体温? 持ち方? わからない。

男と女の違いなのだろうか。 それとも持たれたときの感覚なんてものは千差万別、十人十色ということか。

ツカサが蛇口をひねった。 もう聞きなれた流水音が近くに聞こえた。


84話 初の重み 

ツカサは俺のブラシを流水に当てた。 初めての感覚。 水の冷たさを感じる。

わずか1〜2秒の時間だが、俺には長く感じた。

さっきジェシカのボディを伝って落ちてきた水滴とはまた違う。

ああ、水とはこんなに冷たいものなんだな・・・

キュッ、と蛇口をツカサの日に焼けた右手がひねる。 音が止まった。

俺のブラシからわずかに水滴が落ちる。 ネックからボディにかけてスルッと滑り落ちていく。

左手に俺を持っているツカサは、空いている右手でゴン爺を持った。

ゴン爺のキャップが俺を握ったままの左手によってはずされる。

「ふぉっふぉっふぉ、緊張しとるな? ふぉっふぉっふぉ・・・」

ゴン爺の声が聞こえた。 痩せたゴン爺の体が、また少しだけ痩せた。

俺のブラシに「白い帽子」が乗せられた。 ・・・さぁ、仕事だ!


85話 口の中へ 

ツカサの唇が近づく。 ピンク色の若々しい唇の間から白い前歯が見える。

歯磨き粉がブラシに乗せられて数秒後、俺はそのピンク色した洞窟の入り口をくぐった。

だ液がからむ。 口臭の持つ独特の香りが俺の首から上を包む。

俺は左側・・・ いやツカサからすれば右の歯になるのか。 上の奥歯へ導かれる。

白いクリームが泡立つ。 ブラシに歯の硬い感触が伝わる。 そして上下運動・・・ 

押し付けられるたびに、歯と歯の隙間にブラシの先が入り込み、食べカスのようなモノをかき出す。

どうだい? 新品の歯ブラシは使い心地がいいだろう? 心の中でツカサに話しかける。

まだブラシが馴染んでないので少し硬いかもしれないが、それが逆に新品のウリってもんだ。


86話 入念な歯みがき 


強弱をつけて、角度を変えて・・・ ツカサのブラッシングは他の3人に比べるとかなり入念だ。

1分ほど右上の奥歯を磨くと、俺は左上へと導かれた。

作業はさっきとなにも変わらない。 もくもくと入念なブラッシングが続く。

外でセドリックたちが何か言っているみたいだが、ここまではほとんど声が届かない。

それにしてもなんて丁寧なんだろう。 俺が口の中に入ってからすでに3分ほど経過していた。

俺のボディに慣れない力が加わり、カラダが180℃逆さまにひっくり返った。

くるん、と仰向けからうつ伏せになったような感じだ。

ようやく下の歯に取り掛かるところらしい。 俺の時間の感覚はすでにマヒしてしまったようだ。


87話 差し込む光 

下の歯もやはり丁寧だった。 何分ブラッシングしているのだろう。

ふと、奥歯に虫歯の治療跡があるのがわかった。

歯医者に通っていたのか。 きっとそうだ。

きっとそこで歯みがきのレクチャーを受けたに違いない。

10分近く時間が過ぎ、ようやく歯の裏側にとりかかる。 

ピンク色の歯肉をマッサージするかのように、円を描きながら上へ下へ・・・

口が開いた。 ようやく泡だらけの洞窟内に光が差し込んだ。

俺は疲れ果てていた。 早く外にでたい。 水で洗い流されたい。 みんなの所に戻りたい・・・


88話 虚ろな時間 

俺はようやく解放された。 久しぶりに見る洗面台の蛍光灯はとてもまぶしかったんだ。

俺の首・・・ ネック部分を白い泡が伝う。 きっと光を反射してキラキラと光っているのだろう。

蛇口をひねる音。 勢いよく流れる水の音。

疲労の限界は俺から思考を奪っていた。 何も余計な事は考えたくない。

ただ、無性にジェシカに会いたかった。 すぐそばにいるのは分かっているのに。

急に全身に冷たい感触。 ハッ、と我に返る。

俺は流水で洗われていた。

ああ。 水というのはこんなにも冷たいものなんだな・・・


89話 ただいま! 

コトン・・・ と感触が伝わってきた。 仲間たちの所にようやく戻ってこれた。

10数分の出来事が数時間のように感じた。 疲れた・・・

今の俺はバスルームから出てきたばかりの人間によく似ている。

そんなコトをふと思ったんだ。

ツカサのうがいの音が洗面所内を支配していた。 俺はうがいのリズムと安心感に身を任せていた。

「おかえりなさい。」 ジェシカの声・・・

そうだ。 これを言わなきゃ・・・

「ただいま!」


90話 感想 

「おう! 初仕事はどうだった? しんどいだろ?」 セドリックが訊いてくる。

「あは♪ なんか超〜ぐったりしてなぃ? 大丈夫〜?」 メリルの陽気な声。

「ふぉっふぉっふぉ! 何事も勉強じゃ。 ふぉっふぉっふぉ・・・」 ゴン爺はあいかわらずだ。

やっぱり居心地がいい。 もちろん隣にジェシカがいるから、というのもある。

「いやぁ・・・ 疲れたよ。 やけに長くないか? ツカサの歯みがきって・・・」

「うーん・・・ いつもこれくらいの時間よ。 前任もかなり働かされてたみたいね。」

ジェシカは淡々と話しているように聞こえるが、ところどころに温もりを感じる。

・・・気のせいかもしれないけど。

水の音が止んだ。 ツカサは数秒ほど鏡を見てから服を脱ぎ出した。 これからお風呂らしい。


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